ミリアムハスケルはアメリカだけでなく、海を越えてヨーロッパでも大変人気がありました。人気があった理由は2つ。
一つ目は、他のコスチュームジュエリーメーカーの多くが本物の宝石を模倣したジュエリーをつくっていましたが、彼女だけは決してそれをしませんでした。ミリアムハスケルのジュエリーはほとんどがお花や植物をモチーフにしています。一見、ルビーやエメラルドやサファイヤなど宝石を思わせるデザインの物は一切ありません。
そして、ヨーロッパで人気があったもう一つの理由は、デザインがとても機能的で斬新だったと言われています。例えば、2連のネックレスそのまま真ん中を割ってつければ1連のロングネックレスになります。
他にも5連のフェイクのシードパールのネックレスをひねってチョーカーにしたり、同じデザインのパールのネックレスとブレスレットを留め金の部分でつなげてさらにネックレスのサイズを長くすることができました。
ハロッズといった有名デパートのバイヤーもハスケルのジュエリーを仕入れようと彼女と常にコンタクトをとっていたそうです。
ハスケルのジュエリーはほとんどが職人による手作業で製作されていました。金属に穴を開ける時のみ機械が使われていました。そして、ジュエリーを組み立てる時は接着剤は使われずに、どんな小さなラインストーンもすべて爪留めされています。
ビーズはすべてワイヤーで留められていたため洋服や肌を傷めないように裏にはカバーが取り付けられています。
そして今も人気のハスケルのパールは魚の鱗からとったもの、セルロース、アクリル樹脂を混ぜたものをコーティング作業を12回にもわたって作られていました。そして、もう一つのハスケルの特徴であるアンティークロシアンゴールドにいたっては、洗浄、腐食、銀メッキ、金銀合金鍍金15工程によってできて作られたものです。これだけ丁寧に作られていました。
1924年 ミリアムハスケルがニューヨークに出てきて父親から借りた500ドルを元手にミリアムハスケルというジュエリーショップをホテルの一角にオープンしたのは24歳の時。
当初販売していたのはほとんどがシャネルなどのフランスのコスチュームジュエリーでした。
そして彼女のジュエリーが人気が出て売れ始めた後も、長年にわたってハスケルは自分のジュエリーの横でシャネルのジュエリーを並べて販売していたそうです。ハスケルは毎年デザイナーたちを引き連れて、勉強のためにパリへ出かけました。
ジュエリーメーカーはもちろんのこと、洋服のライン、ネックラインの深さ、ファブリック、流行の色、髪の長さに至るまでパリの最新ファッションを何年にも渡って研究し、ジュエリーをデザインしてました。ハスケルがいかにシャネルやパリの流行を意識していたかがわかります。
ミリアムハスケルは、ショップオーナーであり、バイヤーでありプロデューサーでもありましたが、デザイナーではありませんでした。
シャネルのようにハスケルがデザインをしていたように思われている方がいらっしゃるかもしれませんが、元々インテリアデザイナーだったFRANK HESSをハスケルがスカウトし、彼にデザインを任せていました。お花をモチーフにしたフェミニンなジュエリーをデザインしていたのは実は男性だったのです。
ハスケルは毎年ジュエリーの材料を探して世界中を旅していました。その中にはフランスのグリポワというシャネルのジュエリーも手掛けていた有名なガラスメーカーやイタリアのムラノガラス、ボヘミアガラス、スワロフスキー社などがありました。 世界中から一流の材料を仕入れて製作していたのです。
60年経ても尚彼女のジュエリーが色あせず、世界中で愛されているのはデザインが素晴らしいということだけでなく、使われていた材料にも理由がありそうです。
そして、1930年頃には日本からも材料を仕入れるようになりました。イミテーションのパールや1940年代には翡翠やオパールに似せたガラスを日本から輸入しています。お手持ちのフェイクパールのネックレスも実はMADE IN JAPANのパールかもしれません。
ミリアムハスケルのジュエリーの製作年代を正確に特定するのは難しいと言われているのにはいくつか理由があります。
まず、他のメーカーのようにカタログやプライスリストなどを一般用に発行していなかったため、当時の資料がほとんど残ってないこと。そして、ジュエリーに使われている材料にも理由があります。ビーズやラインストーンなど仕入れの際に大量に購入していたのでかなりのストックがありました。それを長年にわたって使っていたことが年代の判別を難しくしていると言われています。
例えば、1930年頃に使われていた葉っぱの形をしたガラスは60年代のジュエリーにも全く同じ物が使われています。裏側が金属でなく、プラスチックが使われているジュエリーを時々見かけますが、それは戦時中に製作されたものと言われています。戦時中は規制があったため、金属が自由に使えませんでした。
1950年頃よりも前に作られたジュエリーにはサインが入っていません。一般的なオーバル型にMIRIAM HASKELLのサインは50年代以降と言われています。 ホースシューと言われる馬蹄形にMIRIAM HASKELLとサインが入った物は1950年代の一時のみ使われていたと言われています。(1940年終わり頃のサインという説もあります)
なぜ、1924年の創業から1950年までの長い間サインがはいってなかったのか?当時は宝石を使った本物のジュエリーに刻印を入れることは一般的でもガラスや金属のジュエリーに誰が作った物かサインを入れるほど価値がある物と思っていなかったようです。自分の名前を冠したジュエリーがこれだけ長い間、人々から愛されているとは、ハスケル自身が誰よりも一番驚いているかもしれません。
ミリアムハスケルの商品一覧
SOLD OUTありがとうございます。下記の商品は完売となりました。
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